Quantcast
Channel: アラカンおやじのバイクライフ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 400

鶴姫のルーツ

$
0
0
先日訪れた瀬戸内海大三島にある大山祇神社、そこにある宝物館には日本で唯一の女性用の甲冑が展示されてます。
それは、大山祇神社の神官の娘、瀬戸内海のジャンヌダルクと呼ばれた鶴姫のものです。
イメージ 1

鶴姫はもともと愛媛県今治市別名で生まれのちに大三島に渡ったと言われておりちょっと調べてみました。

大山祇神社の宮司として守ってきた一族は、 伊予の豪族、越智家です。越智家は二つに分かれ一つは河野家と名前を改め、水軍として後世を送ります。そして、もう一方は、 大祝家として今も大山祇神社の神職を務められてます。

大祝家の屋敷は、元は、今治市別名にあったとされるのですが、その後今治市内の鳥生というところに移住し、祭祀の行事があるときは、船で大三島にわたり祭祀を司っていたと伝わります。
イメージ 5

鶴姫は1526年(大永6年)正月、今治の別名にあったという大祝家屋敷にて、大山祇神社第31代大祝職・大祝安用とその女中・妙林との間に生まれました。

16世紀の四国地方はというと、豪族や海賊が入り乱れ4つの国で割拠しそのうち伊予国(愛媛)は河野氏(越智氏)が治めていました。
1543年(天文12年)6月、瀬戸内海の覇権の確立も目論む大内軍の水軍が河野氏の勢力域に責めてきます。
それに、河野氏は、全力で戦いに臨みますが鶴姫の右腕で恋人とも言われる越智安成、兄とも討死してしまいました。そこで、鶴姫は、残った兵士を集め、戦いに向かいます。不意を突かれた、大内軍は、鶴姫によって倒され、鶴姫は勝利を収めたといいます。
しかし、戦いで失った、兄や恋人を想い、海に身を投げ亡き人となってしまったと伝わります。

まさに瀬戸内のジャンヌダルクですね!

イメージ 6

別名にあったと言われる生家は見つける事は出来ませんでしたが鶴姫の先祖、越知玉澄が植えた楠木が会社のすぐ近くにあります。越知玉澄は神武天皇以前の乎千命(おちのみこと)が大山祇神社を作ったと言われますがその子孫です。 
イメージ 7

イメージ 2

イメージ 3

大山祗神社の乎千命御手植の楠とは、親戚関係のようで愛媛県の天然記念物に指定されてます。
イメージ 4

玉澄さんの墓がこの別名の大楠の下にあると言われてるので越知家(大祝家)の家もこのあたりだったのかも知れませんね

Viewing all articles
Browse latest Browse all 400

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>