今日から連休、明日はバイクで林道ツーリングなので今日はバイクには乗らずに自分の足で歩く事にしました。
行き先は新居浜別子銅山東平(とうなる)から上部鉄道跡です。
途中のマイントピア別子にある旧水力発電所跡です。みごとな建物です。
山をどんどん上り東平に到着。 東平は、標高750m前後に位置し、大正5年(1916)から昭和5(1930)まで別子銅山の採鉱本部が置かれた地域で、最盛期には4,000人に近い人々が暮らしていた「鉱山の町」でした。
明治38年に完成した索道中継所です。鉱石、生活用品・資機材等を東平・下部鉄道黒石駅(昭和10年からは端で場)まで運んでいました。石垣とレンガ造りの重圧な造りは、確かにインカ帝国の古代文明の遺跡を彷彿とさせますね。
今回は右回りで上部鉄道中間地点の一本松停車場から角石原停車場(銅山峰ヒュッテ)まで廃線跡を歩き銅山越えまで行く事にしました。
登山道は第三通洞脇からスタートします。
採掘本部跡
東平変電所跡です。
しばらくきつい坂道が続きます。
一本松社宅跡地
やっと一本松停車場跡に到着しました。ここから左へ行くと終着駅石ヶ山丈停車場、右へ行くと始発駅角石原停車場なので右へ進みます。
廃線跡に沿って歩きます。
途中何本も橋があります。鉄板のあるところは渡れるのですが原型のままの橋は一度川に下りて渡ります。
まだ町にも鉄道が走ってない明治26年に標高1000mを超える山の中を蒸気機関車が走っていたなんで信じられないですね。険しい山の中、山から流れ落ちるいくつもの谷に橋脚を築き、石垣を組んでレールを敷いて列車を走らせていた遺跡があちこちに残っています。
廃線跡に突然現れた「千人塚」、銅山でなくなられた無縁仏を祭った墓所、深い山の中に大小の石や無名の墓石がいくつも点在してます、このような場所は山の中のあちこちにあり今も関係者によって手厚く供養されております。当時としては命懸けの仕事だったんでしょうね。
しばらく歩くと別子の山を南北に貫く第一通洞があります、それまで銅山峰を歩いて超えていたのがこのトンネルが出来たことで飛躍的に生産効率が上がったそうです。
その向こうには銅山峰ヒュッテ、ここが上部鉄道始発駅の角石原停車場があったところです。
更に進んで銅山越えを目指します。かなりきつい坂が続きます。
銅山越え、到着。「峰の地蔵さん」と呼ばれている、峠で行き倒れた旅人達を供養したものです。
西赤石、その先の東赤石まで見渡せます、歩いて行きたかったのですが時間の都合で今回はパス!
ここから第三通洞まで一気に下ります、あちこちにある石積みは当時の社宅跡ですね、とても歩きやすいです。
駐車場に到着、朝8時に入山して12時下山、昼からは明日の林道ツーリングに備えてWR250のオイル交換、タイヤ交換他色々で結構忙しく一日が過ぎました!
夜は帰省中の友人らと合流して楽しいひと時を過ごしてきます。