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Channel: アラカンおやじのバイクライフ
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越裏門というところへ行って来ました!

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今日は仕事はお休み、天気も良く気温も上がりそうなのでまたまた山へ行って来ました!
今日は石鎚方面を目指します・・が途中寒風山を越えるところで快晴の笹ヶ峰が綺麗なので寄り道する事にしました。登り口から雪がありますが先週よりは少なくなってます。
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途中からの景色
 
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だんだんと雪が深くなり・・というよりも路面が完全に凍結して歩くこともままなりません。
 
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このあたりでギブアップ、引き返します
 
国道まで降りて高知方面に向かって走り、長沢の交差点を右折、ダム湖沿いに県道40号線を西に進みます。
この辺りは知る人ぞ知る林道の宝庫、網の目のような林道を繋いで走ると総延長100キロくらいの凄いスケールとなります。
 
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越裏門(エリモン)小学校に到着
 
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石鎚方面の山が綺麗に見えます。
 
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重要文化財の山中家住宅
 
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もう少し走ると、宮本常一先生の名著『忘れられた日本人』の「土佐寺川夜話」の舞台となる寺川集落もあります。ここもロングダートの竹ノ川自念子林道の入り口となる大変きれいなところです。
 
この越裏門(エリモン)というところ、四国のチベットとも呼ばれる標高800mの美しい山村です。
 
変わった名前の地名の由来は・・・800年前源平合戦で壇ノ浦で敗れた平家が安徳天皇とともに四国に落ち延び先週行った平家平に身を潜めたのですが隠れ場所としては最適なものの険しい高山で食料も窮迫したであろうし寒さもたまらなく、間もなくこの地に移られたそうです。殿舎の周囲には垣をめぐらし警戒を厳重にし門を設け、お供の家来達に護衛させたので 衛意門 という地名が生まれその後訛って 越裏門 となったそうです。
 
その後、山深い山村を転々とされ高知県、越智町の横倉山で亡くなられたとなっております。
越智町はもともとは落町だったりそこを流れる川は京都をしのんで仁井淀川と名づけらたり、徳島剣山の名前は天皇の三種の神器である剣が隠されている事から名づけられたりと、天皇潜伏は事実でないにしても平家の残党が山間のあちことに隠れ密かに生活したであろう事は想像出来ます。こうした事がたくさんの伝説を生んだのではないでしょうか? ロマンですね~

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